要約
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検索意図を理解するとは、その検索者の体験を理解すること
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検索キーワード情報はその体験を紐解くためのヒントに過ぎず、それを起点にすべきではない
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SEOの枠組みでKPIを設定する限り、コンテンツは犠牲になる 適切にコンテンツデザインを行うためにはSEOと切り離すべき
検索意図を理解するとは、ユーザーの体験を描くことである
SEOの現場で近年、ウェブマスターやSEO担当者が勘違いしている最も大きな事柄の1つは、「検索意図(を理解する)」という言葉の意味を履き違えていることである。インターネット検索技術はこの20年で大きな変化を遂げて、その技術革新とともに検索意図という言葉の定義も変化した。今日、検索意図を理解するとはキーワード(文字列)の組み合わせを分析することではなくて、ユーザーのエクスペリエンス(体験)を深く考察することである。
そして、その体験を理解するためにはキーワードのデータ自体は役に立たない。検索クエリと検索回数がわかったところで、検索をしたという事実以上のことは何も教えてくれないからだ。
「SEOのためにコンテンツを作成する」という思考を捨てる
体験を考えるとは、どんな文脈の、どの瞬間に検索してコンテンツを閲覧しているのか、その閲覧中(後)に、感情や課題はどう変化するのかといったことを考えることだ。日本では「コンテンツSEO」と称して、キーワードデータを活用してコンテンツを制作していく企業は少なくないが、このプロセスを推進する限り単なるコンテンツの量産作業から脱却することは難しい。この作業を続ける限り、キーワードを含んだページ作成自体が目的化し、他社との差別化や価値創造が疎かとなり、来訪者の態度変容を促すこととはかけ離れてしまうからだ。
コンテンツというのはさまざまなチャネルから、さまざまな文脈で閲覧される可能性がある。それを前提に、誰に、何の情報を、どんな形式で発信し、どのように届けるのかを考える必要もある。また、全てのコンテンツが必ず情報探索中に閲覧されるわけではない。検索が発生しない行動もたくさんある。それを踏まえれば、「SEOのためにコンテンツをつくろう」というのは出発点がそもそも間違っている。この行き着く先は、かつてDeNAが過ちを犯したMERYやWELQのような姿だ。
コンテンツマーケティングにおけるSEOとの関係は、「検索に配慮する」ということだ。検索に配慮するとは文字通り、その情報が検索可能(searchable)であることを担保するということ。SEOを目的化すると、それは検索可能なのではなく、検索経由以外の行動を一切無視した情報発信になってしまうという弊害がある。
どうしたらいいの?
SEOが目的化していることが問題なので、そこを崩す。
- コンテンツマーケティングの業務をSEOの枠組みから外す
SEOを目的とする限りコンテンツ品質は犠牲になる運命にあるため、SEOの枠組みから外す。SEOのフレームワーク内に置くのではなく、コンテンツマーケティングそれ自体に目的と目標を設定する。このチームは、汎用的なスキルとしてSEOを持たせ、検索性を担保することのみ要求する。 - キーワードリストからコンテンツアイデアを探す業務フローを撤廃する
検索キーワードリストは、取りこぼしや、自分たちが制作したコンテンツの要件が検索観点を満たしているかどうか確認するために使う限りは有効である。問題は、そのリストからコンテンツを作成しようとする行為。繰り返しになるが、キーワードをいくら見たところで検索意図は全くわからない。そのわからないものを起点にコンテンツを作らせても、言葉遊びになるだけである - マーケティングをする
SEOは検索順位を上げるためのテクニックでもなければ、Googleが好むコンテンツを大量生産することでもない。情報探索行動をよく理解したうえで、ユーザーにとって最適な体験を、検索を通じて届けることである。そのユーザーを理解するためには、自社が抱えるマーケティングデータの財産や、第三者のマーケティングリサーチ、現実のユーザーの観察やインタビューなど、たくさんの手段がある。その中にキーワードをヒントとして加えていくというように、いわゆるマーケティングをするという意識を持たせることが大切である。